「浅草」の地名の由来は草が浅い場所?意外と知らない下町の歴史
最も素朴な説:草が浅く生えていた場所
「浅草」の由来で最もシンプルな説は、かつてこの一帯が草の浅い(短い)原野だったというもの。深い草が生い茂る「深草」に対して、草丈の低い平地を「浅草」と呼んだとする説です。隅田川沿いの低湿地で、丈の高い草が育ちにくい土地だったことが背景にあるとも考えられています。
アイヌ語由来説もある
「アサクサ」がアイヌ語に由来するという説もあります。アイヌ語の「アツアクサ」(海を渡る)や「アサクサ」(荒れた川の岸)が語源ではないかというものですが、確実な証拠はなく仮説の域を出ません。東京の地名にアイヌ語由来説が唱えられる例は他にも見られますが、いずれも学術的に確定した定説とまでは言えないものがほとんどです。
浅草寺は東京最古の寺
浅草の象徴・浅草寺(せんそうじ)は628年に創建されたとされる東京都内最古の寺院です。隅田川で漁師が観音像を引き上げたのが始まりという伝説があり、約1400年の歴史を持ちます。この伝説に登場する漁師の兄弟・檜前浜成(ひのくまのはまなり)と竹成(たけなり)は、後述する三社祭にも深く関わる人物として伝えられています。
「せんそうじ」と「あさくさでら」の呼び方
正式には「せんそうじ」ですが、地元では「あさくさでら」と呼ぶこともあります。地名は「あさくさ」なのに寺名は音読みで「せんそうじ」という使い分けは、日本の寺院名によくあるパターンです。地名を訓読みのまま残し、寺号だけを漢語の音読みにする命名法は、浅草寺以外の古刹にも数多く見られます。
雷門の正式名称は「風雷神門」
浅草のシンボル「雷門」の正式名称は**「風雷神門」**です。門の左右に風神と雷神の像が安置されていることに由来します。現在の雷門は1960年にパナソニック(松下電器)の松下幸之助が寄進して再建されたものです。それ以前の雷門は江戸時代に何度も火災で焼失しており、長らく再建されないままの時期もあったと伝えられています。
江戸時代の浅草は「悪所」と呼ばれた
江戸時代の浅草は寺社の門前町として栄える一方、吉原遊郭が近接し、芝居小屋や見世物小屋が集まる歓楽街でした。「悪所」とは歓楽街の別称で、善悪の判断ではなく、庶民の娯楽が集中する場所を意味しました。江戸幕府はこうした娯楽施設を浅草周辺に集約させることで、風紀の取り締まりと娯楽の需要を両立させようとしたとも言われています。
花やしきは日本最古の遊園地
浅草花やしきは1853年に開園した日本最古の遊園地です。もともとは植物園として始まり、その後遊戯施設が追加されました。ローラーコースターは日本現存最古とされています。長い歴史の中で戦災による焼失や経営難も経験しましたが、地域に愛される遊園地として今も営業を続けています。
「仲見世」は日本最古の商店街のひとつ
浅草寺の参道にある仲見世通りは、約250メートルに90近い店が並ぶ日本最古級の商店街です。元禄時代(1688年〜)に浅草寺境内の清掃を任された住民が出店を許可されたのが始まりとされています。当時から続く老舗の菓子店や土産物店も少なくなく、参道そのものが江戸時代からの商いの歴史を今に伝えています。
「浅草」は明治〜昭和初期に日本一の繁華街だった
明治から昭和初期にかけて、浅草は映画館、劇場、レビュー劇場が集中する日本最大の繁華街でした。浅草オペラやエノケン(榎本健一)など、日本の大衆芸能の多くが浅草から生まれています。当時の浅草には日本初の高層建築として知られる「凌雲閣(りょううんかく)」も建てられ、東京の新しい娯楽と文化の象徴として多くの人を集めました。
三社祭の「三社」の意味
浅草神社で毎年5月に行われる三社祭の「三社」は、浅草寺の創建に関わったとされる三人の人物(檜前浜成・竹成兄弟と土師真中知)を祀る三つの神社に由来します。約180万人が訪れる東京を代表する祭りです。草の短い原野から日本一の繁華街へ、そして世界的な観光地へ。「浅草」の地名には、東京の1400年にわたる庶民文化の歴史が刻まれています。