「屏風(びょうぶ)」の語源は?〜「風を屏ぐ」道具に込められた漢字の意味


「屏風」という言葉の起源

「屏風」は、木の枠に紙や布を張った複数の面を蝶番でつなぎ、折り畳んで自立させられるようにした調度品である。その名前は「風を屏(ふせ)ぐ」という言葉に由来するとされ、「屏」の字には「おおって防ぐ」「さえぎる」といった意味がある。室内に立てて風の吹き込みをさえぎり、あわせて人の視線もさえぎる道具として生まれたことが、そのまま名前になったと考えられている。

中国の漢代に生まれた風よけの道具

屏風のルーツは中国にある。今から2100年ほど前、漢代の書物にはすでに「屏風」という言葉が見えるとされ、当時から風よけの実用品として使われていたようだ。その後、魏・晋・南北朝の時代になると、屏風は単なる実用品にとどまらず、王侯貴族の権威や富を示す贅沢な調度品としての性格を強めていったと伝えられている。

日本書紀に記された屏風伝来の記録

日本への伝来を伝える記録として古くから引かれるのが『日本書紀』である。天武天皇の時代、朱鳥元年(686年)の条に、新羅から進調品として屏風が献上されたという記述があり、これが文献上確認できる最も古い屏風伝来の記録とされている。当時の屏風は、現在のような多面の折り畳み式ではなく、一枚の板や布を立てる衝立に近い姿だったと考えられている。

正倉院に伝わる天平の屏風

奈良時代の屏風の姿を今に伝えるのが、正倉院に納められている「鳥毛立女屏風」である。8世紀に作られたこの屏風には、樹下に佇む女性の姿が描かれ、もとは鳥の羽毛が貼られていたことからこの名がついた。実物が現存する例としては最も古い部類に入り、奈良時代にはすでに屏風が絵画を鑑賞する場としても用いられていたことがうかがえる。

平安時代の寝殿造と枕屏風

壁による間仕切りが少ない寝殿造の邸宅において、屏風は空間を区切る重要な道具だった。部屋の一角を屏風で囲って寝所を確保したり、人と対面する際に目隠しとして立てたりと、暮らしのなかで幅広く使われていたようだ。もともと屏風は、寝床の枕元に立てて冷気を防ぐためのものが基本形であったとされ、当時は屏風と言えばこの「枕屏風」を指すことが多かったと伝えられている。

室町・安土桃山時代に花開いた屏風絵

室町時代に入ると、屏風には水墨画や彩色画が本格的に描かれるようになり、実用の道具から鑑賞するための美術品へと性格を広げていった。室町時代に生まれたとされる、金箔を背景にした金屏風は、安土桃山時代に入ると大きな城の広間を飾る調度として盛んに用いられるようになり、京都の町の様子を描いた「洛中洛外図屏風」や、南蛮貿易で訪れた異国の人々を描いた「南蛮屏風」など、時代を映す屏風絵が数多く生み出された。

「隻」「双」「曲」という独特な数え方

屏風には、他の道具にはあまり見られない独特な数え方がある。折り畳んだときの面の数は「曲」で表し、面が六つあれば「六曲」となる。単体の屏風一台は「隻」で数え、もともと対になっているものの片方であることを示す言葉とされる。二台が対になったひと組は「双」と呼ばれ、六曲の屏風が対になったものは「六曲一双」と表現される。ふだん見慣れない単位だが、屏風がもともと対で作られることが多かった歴史を映した数え方だと言える。

現代に受け継がれる屏風の使われ方

住宅の様式が変わり、日常生活のなかで屏風を目にする機会は少なくなったが、和装の結婚式で新郎新婦の背後に立てられる金屏風や、ひな祭りの雛人形の後ろに置かれる屏風など、晴れの場を彩る道具としての役割は今も受け継がれている。金色の屏風がめでたい席に用いられる背景には、金箔の輝きが福を招くものとして好まれてきたことがあるとされている。

「屏風」が今に伝えるもの

「風を屏ぐ」という素朴な役割から名づけられた屏風は、中国から日本へと渡り、寝室の風よけという実用の道具から、絵画を鑑賞するための美術品へと姿を変えながら、千年以上にわたって暮らしのなかに置かれ続けてきた。隻・双・曲という独特な数え方や、正倉院に伝わる天平の屏風、時代の空気を描いた屏風絵の数々は、一枚の風よけの道具がどれほど豊かな文化を育んできたかを今に伝えている。