「福島(ふくしま)」の語源は?福を呼ぶ島が東北の地名になった由来
「福」と「島」が合わさった地名
「福島」の語源は「福」と「島」の組み合わせです。「福」は幸福や豊かさを意味し、「島」は海や川に囲まれた陸地に限らず、周囲と区別された集落や土地区画を指す地名語として広く使われてきました。川が蛇行して囲まれた平地や、湿地の中に浮かぶような高地を「島」と呼ぶ例があり、「福島」は「豊かで縁起のよい土地」を意味する地名だと考えられています。
「島」という地名語の広がり
地名語としての「島」は海の島に限られません。川や湿地に囲まれた陸地や、集落が密集した一区画を指すためにも用いられてきました。関西の「中之島」のように水路に囲まれた市街地を「島」と呼ぶ例があり、東北にも「福島」「南相馬」など「島」を含む地名が多く見られます。福島の場合、阿武隈川沿いの地形がこうした「島」的な景観を形成していたと考えられます。
「福」を冠する縁起地名の多さ
「福島」のように「福」を冠する地名は日本各地に多く見られます。福岡県・福井県・福山市・福知山市・福生市など、「福」のつく都市や県は珍しくありません。これは地名を命名する際に縁起のよい字を選ぶ慣習によるもので、奈良時代に朝廷が諸国の地名に良字二字を使うよう命じた「好字二字令」(713年)以来、こうした吉字命名が定着したとされています。
かつての地名「信夫郡」
福島市周辺は古代には「信夫郡(しのぶごおり)」と呼ばれていました。「信夫」の語源には、絹織物の産地「信夫文知摺(しのぶもじずり)」に由来するという説があります。「しのぶ(忍ぶ)」という語感から、信夫の里は思いを秘めた恋の場所として平安時代の和歌にも詠まれ、「みちのくのしのぶもじずりたれゆゑにみだれそめにしわれならなくに」(源融)はその一首です。
「福島」の地名が定着するまで
現在の福島市の地名として「福島」が文献に現れるのは戦国時代から江戸時代初期頃とされます。信夫郡の中の一地区として「福島」の名が用いられるようになり、福島城(杉妻城)の城下町として発展するにつれて地名として定着しました。県名の「福島県」は1876年に現在の形に確定しています。福島城は阿武隈川に面した台地に位置し、江戸時代の城下町としての地割は現在の市街地にも名残をとどめています。
「会津」という独特の地名
福島県西部の「会津」は独特な由来を持つ地名です。古代、崇神天皇の皇子・大毘古命と建沼河別命が「会う(逢う)」た「津(港・水辺の集落)」だという伝承に由来し、「相逢う津」が転じて「あいづ」になったとされます。只見川と阿賀川が合流する地形とも符合しており、会津藩が戊辰戦争で見せた激闘は日本近代史に深く刻まれています。
浜通り・中通り・会津という三つの顔
福島県は地形的に「浜通り」「中通り」「会津」の三地域に分かれます。浜通りは太平洋側の沿岸地帯、中通りは阿武隈山地と奥羽山脈の間に広がる内陸平地、会津は奥羽山脈より西の山間盆地です。それぞれ気候・文化・産業が異なり、同じ福島県内でも地域によって生活様式に大きな違いが見られます。県内には「相馬」「郡山」のように、氏族名や古代の行政区画に由来する地名も多く残っています。
2011年を境に変わった「福島」の認知
2011年の東日本大震災とそれに続く東京電力福島第一原子力発電所事故は、「福島」という地名を世界中に知らしめるきっかけとなりました。事故後、「福島」の名は本来の「福のある島」という意味とは全く異なる文脈で広く認識されるようになりました。復興の歩みの中で、地名本来の意味である「福」を取り戻す営みが今も続いています。信夫の里として和歌に詠まれ、会津の激闘が歴史に刻まれてきた「福島」という地名は、縁起のよい字を好んだ日本の命名慣習を今に伝えています。