「下呂」の地名の由来は?日本三名泉が誇る温泉地の知られざる語源
1. 「下呂」の語源:「下留(げる)」説
「下呂」という地名の語源として最も有力とされるのが、**「下留(げる)」**に由来するという説です。飛騨川(益田川)の下流域にあたるこの地が、川の流れが緩やかになってとどまる場所、すなわち「川の下方に留まる地」として「下留(しもとどまり)」「下留(げる)」と呼ばれたのが始まりとされます。音が転じて「下呂(げろ)」という表記・読みが定着したと考えられています。
2. 律令時代の駅名に登場する「下留(げる)」
「下呂」の地名は、奈良・平安時代の律令制度のもとで設けられた駅路(えきろ)の駅名に遡ります。律令国家は全国に官道を整備し、一定間隔ごとに駅(うまや)を置いて公用の旅人や物資の輸送を管理しました。飛騨国(現在の岐阜県北部)から美濃国(同南部)へ抜ける道筋に「下留駅(げるのうまや)」が設置されたと伝わり、これが地名の起源とされています。
3. 「下呂」という漢字はいつから使われたか
「下留(げる)」が「下呂(げろ)」という漢字表記に変わった時期は定かではありませんが、中世以降の文書に「下呂」の字が見られるようになります。「呂」は音楽の音階や律呂(りつりょ)など、本来は音楽に関わる漢字ですが、地名の当て字としては音の近さから採用されたと考えられます。意味よりも音を優先した当て字は、日本の地名によく見られる手法です。
4. 下呂温泉の発見と林羅山による「日本三名泉」の選定
下呂温泉の歴史は古く、白鷺(しらさぎ)が傷を癒した場所として温泉が発見されたという伝説が残っています。その名声を決定づけたのは、江戸時代初期の儒学者・**林羅山(はやしらざん)**です。羅山は1636年(寛永13年)に著した書の中で、**摂津の有馬温泉・上野の草津温泉・飛騨の湯島(下呂温泉)**を「天下の三名泉」として記しました。この評価が「日本三名泉」という呼称の由来となっています。
5. 「湯島(ゆしま)」から「下呂」へ
林羅山が「日本三名泉」を選定した際、下呂温泉は**「湯島(ゆしま)」**という名で知られていました。温泉が湧く島状の高台を「湯島」と呼んでいたとされます。地名としての「下呂」が広く定着するにつれ、「湯島」という呼び名は下呂温泉の雅称・別名として残る一方、地名としては「下呂」が主流となりました。
6. 飛騨川と下呂の地形
下呂市を流れる飛騨川(益田川)は、北アルプスを源流として南に流れ、木曽川に合流する川です。下呂の市街地は飛騨川の渓谷沿いに開け、山々に囲まれた地形をしています。「下流にとどまる地」という語源の説は、この渓谷に挟まれて川の流れが落ち着く地形とも符合しており、地名と地形の一致がこの説を裏付けているとも言われます。
7. 下呂温泉の泉質と特徴
下呂温泉の泉質はアルカリ性単純温泉です。pH9以上の強アルカリ性で、入浴するとなめらかでとろりとした肌触りになることから「美人の湯」とも称されます。無色透明のお湯で、刺激が少なく子供から高齢者まで入りやすいとされています。源泉温度は約84度と高く、加水・加温なしで利用できる旅館も多くあります。
8. 下呂合掌村と白川郷との関係
下呂市内には**「下呂温泉合掌村」**という野外博物館があります。岐阜県内の合掌造り民家を移築・保存した施設で、世界遺産・白川郷の合掌造り建築を手軽に見学できる場として知られています。下呂市は飛騨地方に属しており、白川郷・五箇山の合掌造り集落が世界遺産に登録された飛騨・白川郷の文化圏と文化的な連続性を持っています。
9. 下呂市の誕生と平成の大合併
現在の下呂市は2004年(平成16年)に、益田郡の萩原町・小坂町・下呂町・馬瀬村と大野郡の金山町が合併して誕生した市です。旧下呂町は飛騨川沿いの温泉街を中心とした地域でしたが、合併によって北は飛騨地方の山岳地帯まで含む広大な市域となりました。
10. 「下呂」という地名と現代での受け止め方
「下呂(げろ)」という発音が現代語では嘔吐を意味するスラングと同音であることから、観光PRや対外的な紹介で苦労することがあると地元でも話題になることがあります。しかし逆に、その珍しい響きがかえって記憶に残りやすいとして観光面での話題性になっているとも言われており、地元では「日本三名泉の誇り」として地名に誇りを持つ人が多いとされています。
「川の下方にとどまる地」を意味した「下留(げる)」という地名が、律令時代の駅名を経て「下呂」という漢字に落ち着き、やがて日本三名泉のひとつとして全国にその名を轟かせるに至った。地名の語源をたどると、飛騨の山深い渓谷に湧き出す温泉の長い歴史が見えてきます。