「彦根」の地名の由来は神の名?井伊氏の城下町と国宝天守の歴史


1. 「彦根」の語源:神を祀る山の名から

「彦根」という地名の由来は、琵琶湖のほとりに位置する小山「彦根山(ひこねやま)」にあります。この山に天照大神(あまてらすおおみかみ)の子神である「天津彦根命(あまつひこねのみこと)」を祀る社があったとされており、その祭神の名がそのまま山の名となり、やがて地名へと転じたと考えられています。神の名が地名になるという経緯は、日本各地に見られる命名パターンのひとつです。

2. 「天津彦根命」とはどのような神か

天津彦根命は、記紀神話(古事記・日本書紀)に登場する神です。天照大神とスサノオノミコトが「うけひ(誓約)」を行ったとき、スサノオの剣から生まれた五柱の男神のひとりとされます。「彦根」の「彦」は「日子」すなわち「太陽の子」「貴い男性」を意味する言葉で、高貴な存在を表す古語です。「根」は「根拠地」「拠り所」を意味し、神が鎮座する場所を示すとも解釈されます。

3. 彦根山から彦根城へ

現在の彦根城が建てられた小山は、かつて「彦根山」または「金亀山(こんきやま)」と呼ばれていました。関ヶ原の戦い(1600年)の後、徳川家康から近江国を与えられた井伊直政は、当初は佐和山城(さわやまじょう)に入りましたが、直政の急死後に後を継いだ直継・直孝が新たな城の建設を決意。1604年から彦根山に築城を開始し、約20年の歳月をかけて彦根城が完成しました。

4. 井伊氏と「赤備え」

彦根藩主・井伊氏は「赤備え(あかぞなえ)」で知られる武将の家柄です。赤備えとは、甲冑・旗印・馬具などを赤一色で統一した軍装のことで、戦場でひときわ目立つことから精鋭部隊の証とされました。もともとは武田信玄の家臣・山県昌景の部隊が用いたもので、その強さに由来します。井伊直政は武田旧臣を多く召し抱えてこの赤備えを受け継ぎ、徳川四天王の一人として活躍しました。

5. 国宝に指定された彦根城天守

彦根城の天守は、姫路城・松本城・犬山城・松江城とともに国宝に指定されている五城のひとつです。3層3階の天守は1606年頃に完成したとされ、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての建築様式を今に伝えます。明治時代の廃城令の際には取り壊しの危機に瀕しましたが、明治天皇の巡幸に際して当時の明治政府が保存を決定し、現存する貴重な遺構として残されました。

6. 「金亀城」という別名の由来

彦根城は「金亀城(こんきじょう)」という雅称でも親しまれています。これは彦根城が建てられた丘の旧名「金亀山」に由来します。「金亀」は金色の亀を意味し、古来より長寿や繁栄の象徴とされてきた縁起の良い言葉です。城山の堀には今も多くのカメが生息しており、この別名にふさわしい環境が保たれています。

7. 井伊直弼と安政の大獄

彦根藩の第15代藩主・井伊直弼(1815〜1860年)は、幕末史に大きな足跡を残した政治家です。大老(幕府最高職)に就任した直弼は、日米修好通商条約の調印を強行し、反対する尊王攘夷派の志士や公家を弾圧した「安政の大獄」を断行しました。しかし1860年、桜田門外の変で水戸藩などの浪士17名に暗殺され、激動の幕末政局を象徴する人物となりました。

8. 彦根城下町の構造

井伊氏が整備した彦根の城下町は、城を中心に武家屋敷・商人町・寺町を同心円状に配置する典型的な近世城下町の構造を持っています。城の外堀に面した「夢京橋キャッスルロード」や「四番町スクエア」などの地区には、江戸時代の城下町の面影を再現した町並みが整備され、現在は観光スポットとなっています。

9. 「ひこにゃん」と現代の彦根

彦根城築城400年記念事業(2007年)のマスコットキャラクターとして誕生した「ひこにゃん」は、井伊直孝と招き猫の伝説をモチーフにしています。伝説によれば、鷹狩りの途中で大木の下に避難した直孝が、猫に招かれたことで落雷を逃れたとされています。ひこにゃんは全国的な「ゆるキャラ」ブームの先駆けとなり、彦根市の知名度向上に大きく貢献しました。

10. 琵琶湖と彦根の地理的な意味

彦根は琵琶湖の東岸、湖岸に接する地に位置しています。琵琶湖は古来より水上交通の要衝であり、彦根はその湖岸に面した湊(みなと)としても機能していました。江戸時代には北国街道と中山道を結ぶ交通の要地として物資の集散地となり、城下町の経済的繁栄を支えました。水運と陸運の両方を掌握できる地の利が、井伊氏が彦根山への築城を選んだ理由のひとつでもあります。


神の名を山に刻み、山の名を地名に変えて生き続けてきた「彦根」。井伊氏260年の城下町として、そして幕末の激動を生きた井伊直弼の地として、この地名は日本史の重要な場面に繰り返し登場し続けています。