「市ヶ谷」の語源は?東京新宿区の地名に刻まれた市場と谷地形の歴史
「市ヶ谷」の語源は「市が立つ谷」
「市ヶ谷(いちがや)」の語源として最も広く支持されているのは「市(いち)が立つ谷(やつ・やと)」に由来するという説です。「谷(やつ・やと)」は関東地方の地名に多く見られる地形語で、台地に刻まれた谷状の低湿地(谷戸)を意味します。市ヶ谷周辺は武蔵野台地が細かく刻まれた谷地形が多く、その谷に「市(定期的に物の売り買いが行われる場所)」が立ったことから「市の谷(いちのや)→市ヶ谷」と呼ばれるようになったと考えられています。「ヶ(が・の)」は「〜の」という所有・所属を示す格助詞的な要素で、「市が(の)谷」という意味構造です。
「谷(やつ・やと)」という関東の地形語
「やつ(谷)」「やと(谷戸)」は武蔵野台地・多摩丘陵などで頻繁に見られる地形語で、台地が樹枝状に刻まれた細長い谷(低地・湿地)を指します。「谷津(やつ)」「谷戸(やと)」「谷(や)」などの表記で地名に残っており、「渋谷(しぶや)」「世田谷(せたがや)」「青山(あおやま)の谷」「四谷(よつや)」なども同系の地形語を含む地名です。市ヶ谷の「谷(がや)」も「やつ・やと」が音変化したものとみられます。谷地形は水が集まりやすく農耕・生活に適していたため、古くから人が集まる場所となり、市(いち)が開かれることも多かったといえます。
江戸時代以前の市ヶ谷
市ヶ谷周辺には鎌倉時代・室町時代から人々が住み、定期市が開かれていた記録があります。江戸時代以前、現在の市ヶ谷付近には「市谷(いちがや)」という地名が記録されており、定期的な市(いち)が開かれる場所として知られていました。戦国時代には上杉氏・北条氏の勢力圏にあり、江戸城(今の皇居)の外側に位置する武蔵野台地の南東縁として軍事・交通上の要地でもありました。徳川家康が江戸に入府(1590年)した後、江戸城の整備・外堀の掘削とともに市ヶ谷周辺も大きく変貌しました。
江戸城外堀と市ヶ谷の地形
江戸時代中期(1636年)に完成した江戸城外堀(そとぼり)は市ヶ谷を通り、「市ヶ谷濠(いちがやぼり)」が現在も残っています。外堀は江戸城を守る防衛線として機能し、市ヶ谷には外堀を渡るための「市ヶ谷橋(いちがやばし)」が設けられました。現在のJR市ヶ谷駅付近は外堀の水辺沿いにあり、濠には釣り場として知られる「釣り堀」が今も残っています。外堀の水は市ヶ谷の谷地形を利用して引き込まれており、「谷(やつ)」という地形が江戸城防衛に活用された例でもあります。市ヶ谷駅周辺から見える外濠公園の水辺は、江戸時代の地形を今に伝えています。
防衛省が置かれた市ヶ谷台
市ヶ谷の台地上(市ヶ谷台)には明治時代以降、軍事施設が置かれてきた歴史があります。陸軍士官学校・陸軍省・参謀本部などが設置され、戦後はGHQ(連合国軍総司令部)に接収されました。1969年(昭和44年)には防衛庁(現・防衛省)が移転し、現在も防衛省の本省が市ヶ谷台に置かれています。市ヶ谷が歴史に刻まれた出来事の一つが、1970年(昭和45年)の三島由紀夫の自衛隊市ヶ谷駐屯地での演説と自刃で、「市ヶ谷事件」として歴史に記録されています。台地上の軍事・防衛施設としての歴史は、谷地形を活かした守りやすい地形条件と無縁ではありません。
法政大学と「市ヶ谷キャンパス」
市ヶ谷は法政大学のメインキャンパス(市ヶ谷キャンパス)が置かれる学術エリアとしても知られています。法政大学は1880年(明治13年)創立の私立大学で、市ヶ谷に本部を置く歴史ある大学の一つです。また早稲田大学・上智大学なども近隣に位置し、四谷・市ヶ谷・神楽坂周辺は大学が集まる文教地区としての性格を持ちます。江戸時代には武家屋敷が広がっていた台地が、明治以降に学校・官公庁・軍事施設として開発されたという歴史的変遷が、現在の市ヶ谷の街並みの基礎を作っています。
「市ヶ谷」の表記と読み方の変遷
「市ヶ谷」の表記は「市谷」「市ケ谷」「市ヶ谷」など複数の表記が歴史的に使われてきました。現在の住所表記では新宿区市谷(いちがや)の各町丁に用いられており、「市谷○○町(いちがや○○まち)」という形で細分されています。JR総武線・東京メトロ・都営地下鉄の「市ヶ谷駅」は「市ヶ谷(いちがや)」表記が定着しています。「ヶ」は「箇(か)」の略体で、「ヶ所(かしょ)」「関ヶ原(せきがはら)」など地名・数量表現に用いられる表記です。「市ヶ谷」の「ヶ」は「〜の」という意味の格助詞的機能を持ち、「市の谷→市ヶ谷」という語構造を示しています。
市ヶ谷周辺の地名に見る谷地形の名残
市ヶ谷周辺には谷地形を示す地名が数多く残っています。「四谷(よつや)」は市ヶ谷の隣に位置し、「四つの谷(よつのや)」に由来するとされます。「神楽坂(かぐらざか)」は台地と谷の境界の坂を示す地名で、「牛込(うしごめ)」も谷に面した地形地名です。「飯田橋(いいだばし)」も外堀の橋に由来し、外堀沿いの谷地形と市(いち)・橋が地名として定着したパターンです。武蔵野台地の南東縁に位置する市ヶ谷周辺は、台地と谷が複雑に入り組んだ地形であり、その地形が多様な地名を生んだ地域でもあります。「市ヶ谷」の名は「市が立つ谷」という地形と人の営みが交差した場所の記憶を、現代に伝えています。