「越谷」の語源は?埼玉の地名に残る「古志(こし)」の記憶
越谷市とはどんな都市か
越谷市(こしがやし)は埼玉県の南東部に位置する中核市で、人口は約34万人(2024年時点)。東武スカイツリーライン(伊勢崎線)沿線の交通の要所で、東京都心から30〜40分圏内のベッドタウンとして発展しました。日本最大級のショッピングモール「イオンレイクタウン」が立地することでも知られています。元荒川・古利根川・大落古利根川など複数の川が流れる水郷地帯で、地名に「谷(がや)」が含まれることと水辺の地形は一致しています。
「越谷(こしがや)」の表記の由来
越谷の地名は「越ヶ谷(こしがや)」が省略されたものとされています。江戸時代には「越ヶ谷」「越ヶ谷宿(こしがやじゅく)」として日光街道の宿場町として栄えた記録があります。「越ヶ谷」は「越(こし)の谷・低地」という意味と解釈されます。「ヶ」は「の(の格助詞)」に相当する古語的な表記で、「越の谷→越ヶ谷→越谷」と変化したと考えられています。
「越(こし)」という語の語源
「こし(越・古志)」の語源については複数の説があります。(1)古代豪族「許勢(こせ)氏」に由来するという説、(2)「腰(こし)」のように低くなった地形・傾斜地を指すという説、(3)古代の地域名「越(こし)」(現在の北陸地方)との関係を示す説などがあります。いずれも確定的ではありませんが、地形的な意味(低い土地・傾斜部分)と人名・氏族名に由来する説の両方が候補として挙げられています。
「谷(がや)」という地形語
「谷(がや)」は「谷・低地・湿地」を意味する地形語です。関東地方では「谷」を「やつ・やち・がや」などと読む地名が多く、低湿地・水はけの悪い谷状の地形を指します。越谷地域は荒川の氾濫原(低地)に位置しており、「谷(がや)」という語が指す低湿地の地形と一致しています。「越谷」の「谷」はまさにこうした水辺の低地を指しています。
日光街道の宿場町「越ヶ谷宿」
江戸時代、越ヶ谷は日光街道(現在の国道4号線)の宿場町「越ヶ谷宿」として繁栄しました。江戸から4番目の宿場(千住・草加・越ヶ谷・粕壁)として位置し、多くの旅人・商人が行き交いました。徳川家康も日光東照宮への参拝(日光社参)の際に越ヶ谷に宿泊したと伝えられており、宿場町としての賑わいを示す記録が残っています。
越谷の農業と「ネギ」
越谷市は「深谷ネギ」と並び称される「越谷ネギ(岩槻ネギ)」の産地として知られてきました。低湿地の土壌・水はけのよい砂質土が根深ネギの栽培に適しており、江戸時代から葱の産地として名高かった記録があります。現在も埼玉県は全国有数のネギ産地で、越谷の農業の歴史を反映しています。地名が示す「水辺の低地」という地形が農業文化とも結びついています。
越谷の水辺と「元荒川」
越谷市内を流れる「元荒川(もとあらかわ)」はかつての荒川の本流で、江戸時代初期に荒川の流れが変えられた(瀬替え工事)後に残った旧河道です。「元(もと)荒川」という名前がその歴史を伝えており、越谷の地形が荒川の流路変更と深く関わっています。水郷地帯の越谷では舟運が交通・物流の中心であり、「水の町」としての歴史が地名「谷(がや)」にも反映されています。
現代の越谷市
現代の越谷市は東武スカイツリーライン沿いの住宅都市として発展し、越谷レイクタウン地区の大規模商業施設が全国的に知られています。2003年に中核市に移行し、行政機能も充実しています。「越谷」という地名は埼玉県民にとって身近な地名ですが、その語源に古代の地形・豪族・宿場の歴史が重なっていることは、地名を調べることで見えてくる歴史の厚みを示しています。