「丸の内」の地名は江戸城の堀の内側だった?知られざる城郭都市の名残
1. 「丸の内」の「丸」は城の「丸」
「丸の内」の「丸」は、城郭の区画を指す言葉です。本丸・二の丸・三の丸というように、城の主要な区画をそれぞれ「丸」と呼びました。江戸城には本丸・二の丸・三の丸・西の丸などの「丸」が存在し、その堀に囲まれた内側の土地が「丸の内」と呼ばれるようになりました。
2. 「の内」は城郭の内側を意味する
「の内」は「〜の内側」を意味する古い日本語の表現です。城郭の外堀の内側にある土地を「城の内」「丸の内」と呼んだのが語源で、江戸城の場合は大手門や和田倉門周辺の内堀と外堀に挟まれた一帯を指しました。城郭都市・江戸の地理的な構造がそのまま地名になった例です。
3. 江戸時代の丸の内は大名屋敷が立ち並んでいた
江戸時代、丸の内一帯は徳川幕府の大名屋敷地でした。親藩・譜代大名の上屋敷が集中するエリアで、将軍のお膝元として厳しく管理されていました。現在のビジネス街からは想像しがたいほど、武家の格式を持つ閉鎖的な空間だったのです。
4. 明治維新で一帯は「三菱が原」と呼ばれた荒れ地に
明治維新によって大名屋敷が撤去されると、丸の内は陸軍の兵舎用地となり、その後1890年に三菱に払い下げられました。当時は草が生い茂る荒れ地で、「三菱が原」「一丁倫敦(ロンドン)」計画が始まる前の丸の内は、江戸の面影もなく閑散とした土地でした。
5. 「一丁倫敦」と呼ばれたレンガ街の誕生
三菱が丸の内を取得後、1894年から赤レンガ造りのオフィスビルを次々と建設しました。この街並みがロンドンのシティ(金融街)に似ていることから「一丁倫敦(ひとちょうろんどん)」と呼ばれ、日本初の近代的なビジネス街として注目を集めました。
6. 「大手町」という隣接地名も城郭由来
丸の内に隣接する「大手町」の「大手」とは、城の正門(大手門)のことです。江戸城の正門・大手門に向かう通りを「大手筋」と呼び、その周辺が「大手町」となりました。丸の内・大手町・千代田など、この一帯の地名は江戸城の構造を今に伝えています。
7. 東京駅は江戸城の外堀跡に建てられた
1914年に開業した東京駅は、江戸城の外堀を埋め立てた土地に建設されました。つまり東京駅そのものが、かつての「丸の内」と外の世界を隔てていた堀の跡に立っているのです。駅舎が完成したことで、丸の内は東京の表玄関として確固たる地位を得ました。
8. 現在の丸の内ビルディングは3代目
「丸ビル」の愛称で知られる丸の内ビルディングは、1923年に竣工した初代が関東大震災に耐え、1999年まで現役でした。現在の丸ビルは2002年に竣工した3代目で、建て替え時には当時の最先端技術を惜しみなく投入した超高層ビルです。初代は赤レンガ時代の丸の内を締めくくる象徴的な建物でした。
9. 全国にある「丸の内」という地名
「丸の内」という地名は東京だけではありません。名古屋市・岡山市・長野市・高松市など、かつて城下町だった都市に同名の地名が残っています。いずれも城郭の堀の内側にあたる土地が由来で、城郭都市として栄えた日本の歴史を共通して反映しています。
10. 「丸の内」は平安時代まで遡る可能性
「丸」という言葉が城郭の区画を意味するようになったのは中世以降とされていますが、「まる(丸・円)」が囲まれた空間や境界を示す概念として使われた歴史はさらに古く、平安時代にも「丸」が屋敷の区画を意味する用法が見られます。「丸の内」は日本語の空間認識の歴史を凝縮した地名といえます。
大名屋敷が立ち並ぶ城郭の内側から、荒れ地、レンガ街、そして日本屈指のビジネス街へ。「丸の内」という三文字には、江戸城の堀がこの土地を囲んでいた頃から続く400年以上の歴史が刻まれています。