「目黒」の地名は目の黒い不動明王から来ていた
1. 「目黒」の語源は不動明王の「目の色」
「目黒」という地名は、目が黒い不動明王像を祀る寺院「目黒不動(瀧泉寺)」に由来するというのが有力な説です。不動明王は憤怒の形相で描かれることが多く、その目の色から「目黒不動」と呼ばれるようになり、周辺一帯が「目黒」と総称されるようになったと考えられています。
2. 目黒不動は江戸最古の不動霊場
目黒不動こと**瀧泉寺(りゅうせんじ)**は、慈覚大師円仁が808年(大同3年)に創建したと伝えられる天台宗の寺院です。江戸時代には「江戸最古の不動霊場」として広く知られ、参詣者が絶えない名所でした。現在も目黒区下目黒に鎮座しています。
3. 「江戸五色不動」のひとつ
江戸時代、三代将軍・徳川家光は江戸の鎮護と庶民信仰のために**「江戸五色不動」**を定めました。目黒・目白・目赤・目青・目黄という五色の不動を江戸の五方向に配置したとされ、目黒不動はその筆頭格です。五色不動の伝承が普及したことで、「目黒」という地名の認知度はさらに高まりました。
4. 「目黒」の表記は「眼黒」が原形か
古い文献では「目黒」は「眼黒(めぐろ)」と表記されることもありました。不動明王の像は、白眼に黒い瞳を持つ「天地眼(てんちげん)」という独特の目の形で表現されます。この黒く際立つ瞳の特徴が「目黒」という呼称の核心にあると研究者は指摘しています。
5. 地名の初出は江戸時代初期
「目黒」という地名が公文書に登場するのは江戸時代初期です。江戸幕府の記録には「目黒村」の記載があり、現在の目黒区・品川区にまたがる広い地域を指していました。目黒不動の門前町が核となり、周辺の農村を含む地域全体が「目黒」と呼ばれるようになったと考えられています。
6. 将軍家の鷹狩り場だった
江戸時代の目黒は、都市の外縁部に広がる農村地帯であると同時に、徳川将軍家の鷹狩り場でもありました。江戸城の南西に位置する目黒周辺は、自然豊かな環境が保たれており、将軍が狩りを楽しむ行楽地として重宝されていました。八代将軍・徳川吉宗も目黒を好んだと記録されています。
7. 落語「目黒のさんま」の舞台
「目黒のさんま」は江戸落語の代表的な演目で、将軍が目黒で食べたさんまの美味しさが忘れられず江戸城でもさんまを所望する、というおかしな話です。この噺の舞台が目黒であることから、毎年秋には目黒区でさんままつりが開催されています。落語の普及が「目黒」という地名の全国的な知名度向上に一役買いました。
8. 明治以降の急速な住宅地化
明治時代になると目黒は東京府に組み込まれ、山手線(1885年開業)の目黒駅(1885年開業)が交通の拠点となりました。大正から昭和にかけて、閑静な丘陵地という立地を活かして高級住宅地として発展します。目黒川沿いの斜面地に邸宅が立ち並ぶ景観は、この時代に形成されました。
9. 現代の目黒川は桜の名所
目黒区を流れる目黒川は、春になると両岸の桜並木が美しく咲き誇る花見スポットとして知られています。中目黒駅周辺のおしゃれなカフェや雑貨店と桜の組み合わせは、現代の目黒を象徴する光景です。不動明王の霊場として栄えた古い歴史と、洗練された現代文化が共存しているのが目黒の特徴です。
10. 目黒不動は今も参詣者が絶えない
地名の由来となった瀧泉寺(目黒不動)は、現在も多くの参詣者が訪れる信仰の場です。境内には不動明王像のほか、江戸時代から伝わる石仏や石碑が点在しており、1200年以上の歴史を体感できます。「目黒」という地名が生まれた原点を、今も同じ場所で感じることができます。
不動明王の黒い瞳が地名になった「目黒」。将軍家の鷹狩り場から落語の舞台、桜の名所へと姿を変えながら、地名はその始まりにある寺院と不動明王の記憶を静かに伝え続けています。