「中目黒(なかめぐろ)」の地名の由来は?目黒川と「上・中・下」の区分
「目黒村の中ほど」を意味する地名
「中目黒」の「中」は、かつて広大な「目黒村」が上・中・下に分かれていたことに由来します。江戸時代から明治初期にかけて、目黒川流域の農村地帯は「上目黒」「中目黒」「下目黒」という三つの区域に区分されており、中目黒はその中間部にあたる地区でした。「中」は単純に地理的な中間の位置を示す語です。
「目黒」という地名そのものの語源
「目黒」の語源については、目黒不動(瀧泉寺)の不動明王像の黒い目に由来するという説が有力です。古くは「眼黒」とも表記され、黒い眼を持つ不動明王を祀る寺院の名が周辺一帯の地名になったと考えられています。目黒不動は808年(大同3年)創建と伝えられ、江戸五色不動の筆頭として広く信仰を集めました。
上・中・下目黒の区分とその後
明治時代の町村制施行(1889年)以降、上目黒・中目黒・下目黒という区分は正式な行政地名として使われるようになりました。現在の中目黒は東京都目黒区の町名で、目黒川の北側、東急東横線の中目黒駅周辺を指します。上目黒は駅名ではなく町名として目黒区に残り、下目黒は現在の目黒駅周辺にあたります。
目黒川が決めた地形
中目黒の地理的特徴は、目黒川が南北に蛇行しながら流れる低地と、その両岸に広がる台地の縁という地形にあります。目黒川は多摩丘陵を源流とし、目黒区を経て品川区で東京湾に注ぐ全長7.8キロメートルの河川です。川沿いの低地は洪水の危険もあったため、かつては農地・水田として利用され、住宅地の開発は台地側から進みました。
鉄道開通がもたらした都市化
中目黒の近代的な発展は、1927年(昭和2年)の東京横浜電鉄(現・東急東横線)中目黒駅の開業によって本格化しました。渋谷と横浜を結ぶ路線の途中駅として設置されたことで、それまで農村だった周辺への人口流入が始まり、住宅地として急速に発展しました。1964年(昭和39年)の東京オリンピックの年には東京メトロ日比谷線の中目黒駅が開業して東急東横線と合流するターミナルとなり、両路線が地上で並走する高架区間の景観は、現在も中目黒の都市的シンボルのひとつになっています。
目黒川の桜と花見の名所化
目黒川は現在、春の桜の名所として全国的に知られています。中目黒駅周辺の約3.8キロメートルにわたって植えられたソメイヨシノが満開になる時期には、多くの花見客が訪れます。目黒川沿いへの桜植樹が本格化したのは1980年代以降のことで、地元住民や行政が整備を進めた比較的新しい「名所」です。川の両岸のカフェや雑貨店との組み合わせが、現代的な花見文化として定着しました。
アトリエ文化からおしゃれな街へ
1990年代から2000年代にかけて、中目黒はクリエイターやアーティストのアトリエ・工房が集まる地域として注目されるようになりました。渋谷や恵比寿に近い立地でありながら家賃が比較的抑えられていた時期があり、倉庫や工場跡地を改装したギャラリーやカフェが増えました。この流れが現在の「おしゃれな街・中目黒」のイメージを形成した背景にあります。2011年(平成23年)に開業した「中目黒 蔦屋書店」は、目黒川沿いの高架下空間を活用した書店・カフェの複合施設として空間設計の話題とともに広く報じられ、中目黒のブランドイメージを全国的に高めました。
「目黒区に目黒駅はない」という事実
よく知られた東京の地名の雑学として、「目黒区の目黒駅」は実際には品川区に位置するという事実があります。目黒駅(JR山手線・東急目黒線など)の所在地は品川区上大崎であり、行政上は目黒区ではありません。一方「中目黒駅」は目黒区中目黒に所在しており、駅名と区名・町名が一致しています。「目黒村の中ほど」という素朴な由来を持つ中目黒は、鉄道開通・目黒川の整備・文化的な集積を経て、古い農村の面影とは異なる現代都市の顔を持つ地域へと変容しました。