「六本木」の語源は六本の木?それとも大名の家紋?諸説ある地名の謎


1. 「六本木」の語源は実は確定していない

「六本木」という地名の由来は複数の説があり、定説が存在しない珍しいケースです。主な説としては、六本の木が立っていた説と、六人の大名の家紋に木にちなんだ文字があった説が有力とされていますが、いずれも確証となる古文書が残っていないため、現在も謎のままです。

2. 「六本の木が立っていた」説

最もよく知られる語源説が、この地に6本の大きな木が立っていたというものです。道標や目印として機能していた特定の木、あるいは神社の御神木が6本並んでいたという伝承です。当時の地域住民が「六本の木のあるところ」と呼び習わし、それが地名として定着したとされます。

3. 「六人の大名・家紋に木」説

江戸時代の六本木周辺には複数の大名屋敷が集まっていました。その大名たちの家紋や家名に「木」に関連する字(木、朴、榊、松など)が含まれていた家が6家あったため、「六本木」と呼ばれるようになったという説です。具体的にどの大名家かについては諸説あり、統一した見解はありません。

4. 江戸時代は武家屋敷が密集する地域だった

六本木周辺は江戸時代を通じて武家地(大名・旗本の屋敷地)が多く占める地域でした。高台にあり、江戸城から南西方向に位置するこの一帯は、防衛上の観点から有力な藩の下屋敷や中屋敷が配置されました。庶民の町人地とは異なる、静かな武家の町でした。

5. 「麻布」との関係

六本木は「麻布」地区に隣接しており、長らく「麻布六本木」と呼ばれていました。麻布という地名は「麻の布を作る場所」に由来するとも、「浅い水辺(あさぶ)」の転訛とも言われています。明治以降に「麻布区」が設置され、六本木はその一部として行政区分に組み込まれました。

6. 明治・大正期は軍の施設が置かれた

明治維新後、武家屋敷の跡地には陸軍の歩兵連隊などの軍事施設が設置されました。六本木周辺には近衛師団関連の施設が集まり、軍の街としての性格を帯びます。敗戦後はGHQに接収され、米軍の宿舎・施設として使われた歴史が、その後の国際色ある街の雰囲気の原点となっています。

7. 戦後のアメリカ文化と六本木の国際化

第二次世界大戦後、六本木周辺に駐留した米軍関係者向けのバーやレストランが集まり、外国人に開かれた国際的な街という性格が確立されました。1960〜70年代には「ディスコの街」として若者文化の発信地となり、日本の夜文化を牽引しました。

8. 六本木ヒルズと再開発

2003年に開業した「六本木ヒルズ」は日本を代表する複合都市開発の先駆けです。テレビ朝日・森美術館・グランドハイアット東京・住宅などが一体となったこの開発は、旧来の木造密集市街地から現代的な国際都市へと六本木を変貌させました。

9. 「国立新美術館」と文化の集積

2007年に開館した国立新美術館は、六本木ヒルズの森美術館、サントリー美術館(東京ミッドタウン)とともに「六本木アート・トライアングル(六本木アートナイト)」を形成しています。アート・文化の発信地という側面は、戦後の国際化した土壌から生まれたものです。

10. 地名に「木」が付く東京の地名たち

「六本木」のように木に関係する地名は東京に数多くあります。「一本松」(世田谷区)、「四ツ木」(葛飾区)、「千駄木」(文京区)など、かつて木や林が目印だった場所が地名として残っています。地名は往々にして、その土地の植生や景観の記憶をとどめる「化石」です。


六本の木なのか、六つの家紋なのか——語源が確定しないまま世界的に有名な繁華街となった「六本木」。謎が多いからこそ、想像を掻き立てる地名でもあります。