「しるこ」の語源は小豆の粉を溶いた汁?おしるこ・ぜんざい徹底解説


語源は「汁粉(しるこ)」=小豆の粉を溶いた汁

「しるこ」は漢字で「汁粉」と書きます。文字通り「汁」と「粉」を組み合わせた言葉で、もともとは小豆を粉にして水で溶いた汁物を指していたと考えられています。辞書的には「餡汁粉(あんしるこ)餅」の略とする説明もあり、いずれにしても中心にあるのは「小豆の粉を溶いた汁」という素朴なイメージです。現代のような餅入りの甘い汁物ではなく、粉を溶いただけの簡素な食べ物が出発点だったという点は、複数の資料で共通しています。

「粉(こ)」は小豆の粉を指していた

「汁粉」の「粉」は、小豆を乾燥させてすり潰した粉を指します。江戸時代前期の料理書『料理物語』(1635年)には「すすりだんご」という料理が記されており、もち米とうるち米を合わせた団子を小豆の粉の汁で煮込み、塩で味付けしたものだったといいます。今のような甘い菓子ではなく塩味で、酒の肴として供されることもあったとされ、しるこの起源は甘味というより滋養のある汁物だった可能性がうかがえます。現代のように豆を炊いた餡を使うようになったのは後の時代のことで、呼び名だけが引き継がれた形になります。

江戸時代に屋台の甘味として広まった

しるこが庶民の食べ物として定着したのは、江戸時代も明和年間(1764〜1772年)以降のことだとされています。当時の記録には「近頃汁粉見世にて商う」という表現が見られ、専門の店だけでなく、屋台を担いだ振売りが夜な夜な町を歩き、「白玉ァおしるこゥ」と声を張り上げて売り歩いていたといいます。行灯に「正月屋」と書き込む店が多かったことから、汁粉売りそのものが「正月屋」の異名で呼ばれることもありました。幕末頃には江戸だけでなく京都や大坂でも汁粉売りの姿が見られ、砂糖が流通しやすくなったことも重なって、甘みの強いしるこが三都共通の庶民の甘味として広まっていきました。

「おしるこ」の「お」は丁寧語の接頭辞

「おしるこ」の「お」は、「お茶」「お菓子」と同じ丁寧語の接頭辞です。屋台や茶屋で客に出す際に「お」をつけて呼ぶ習慣が広まり、「おしるこ」という言い方が定着したと考えられます。現代では「しるこ」と「おしるこ」のどちらも使われますが、メニュー名や商品名としては「おしるこ」の方が一般的で、丁寧な言い回しがそのまま日常語として根付いた例のひとつといえます。

「おしるこ」と「ぜんざい」は地域によって定義が異なる

おしるこ(汁粉)とぜんざい(善哉)の境界線は、地域によって驚くほど異なります。関東では「汁気があるかどうか」が基準で、汁気のある甘い餡の汁物はこしあん・つぶあんを問わず「おしるこ」、餅などに汁気のない餡をかけたものが「ぜんざい」と区別されます。一方、関西では汁気の有無ではなくあんの種類が基準になり、こしあんを使った汁物が「おしるこ」、粒あんを使った汁物が「ぜんざい」と呼び分けられます。さらに沖縄ではまったく事情が異なり、「ぜんざい」といえば甘く煮た豆と氷を合わせた冷たい甘味を指すのが一般的で、これは本土の温かいぜんざいとは別系統の食文化として定着しています。同じ言葉でも地域によって指すものが変わるため、「ぜんざい」を全国共通の一つの料理として説明するのは難しいのです。

「ぜんざい」の語源は仏教語「善哉」

ぜんざいの語源には複数の説があり、決着はついていません。もっとも知られているのは、仏教の感嘆詞「善哉(よきかな)」に由来するという説です。一休宗純がこの汁物を食べて、あまりの美味しさに「善哉(よきかな)この汁」と叫んだという逸話が伝わりますが、これは後世に作られた話とも考えられています。もう一つの有力な説が、出雲地方に伝わる「神在餅(じんざいもち)」を起源とするものです。旧暦10月に出雲で行われる神在祭で振る舞われた「神在餅」の「じんざい」が出雲の方言で訛って「ずんざい」となり、やがて「ぜんざい」に変化して京都に伝わったとされ、江戸時代初期の文献にもこの説が記されているといいます。仏教語説と出雲発祥説のどちらが正しいかは今も議論があり、複数の由来が並び立っているのがぜんざいという言葉の面白いところです。

こしあんとつぶあんで呼び名が変わる

関東地方では、使う餡の種類によってしるこの名称そのものが分かれます。上質なこしあんを使った汁物は「御膳汁粉」と呼ばれ、皮を取らない粒あんをそのまま使った汁物は「田舎汁粉」または「小倉汁粉」と呼ばれます。上品でなめらかな口当たりのこしあんを「御膳」、豆の粒が残る素朴な味わいを「田舎」と呼ぶ対比には、こしあんの手間がかかる分だけ格上とされた江戸時代の身分・格式の意識が今も名残として残っています。

白玉・餅・栗など、入れる具材の変遷

しるこに入れる具材は、時代や地域によって少しずつ変化してきました。江戸時代には焼き餅や、もち米を挽いて沈殿・乾燥させた白玉粉から作る白玉団子が定番でした。白玉粉はきめが細かく、つるりとした喉ごしの良い団子に仕上がるため、汁物との相性がよかったと考えられます。現代では餅や白玉のほかに、栗の甘露煮や、もち米粉に砂糖・水飴を練り込んだ求肥を加える店も増え、具材の組み合わせひとつで甘味処ごとの個性が出るようになりました。正月に鏡開きをした餅を無駄にせず使い切る料理としても重宝されており、年始のしるこには特別な意味合いがありました。

しるこは江戸時代の「スポーツ飲料」だった

江戸時代のしるこは、今よりも粉を溶いた液体に近い、飲み物寄りの食べ物として売られていたとされています。屋台のしるこ売りは日暮れから夜にかけて商いをすることが多く、重労働のあとや底冷えする夜に、手早く糖分と温かさを補給できる食べ物として重宝されていたと考えられます。もちろん当時に「スポーツ飲料」という概念はありませんが、疲労回復や体を温める目的で甘い汁物を口にするという発想自体は、現代の甘いドリンクや温かい飲み物に通じるものがあります。

缶入りおしることと現代の展開

しるこが家庭でも手軽に楽しめるようになった転機のひとつが、缶詰商品の登場です。井村屋は1962年に同社初の缶詰商品として「ゆであずき」を発売し、その後も粉末のしるこや即席ぜんざいなど、湯を注ぐだけで作れる即席タイプの商品を次々と展開しました。現在では缶・パック・カップ入りの即席しるこなど多彩な形態で販売され、コンビニやスーパーでも一年を通じて手に入るようになっています。大阪の「夫婦善哉」のように一杯を二椀に分けて出す名物や、仙台の「ずんだ汁粉」のようにご当地の食材を取り入れたアレンジも生まれ、しるこは地域ごとの個性を映す鏡のような甘味になりました。小豆の粉を水で溶いただけの素朴な汁物だった「しるこ」は、江戸の屋台から現代のコンビニスイーツまで姿を変えながら、寒い季節に人をほっとさせる甘味として今も愛され続けています。