「巣鴨(すがも)」の語源は?〜鴨が棲んだ池か、洲に由来する地形か、諸説ある地名の起源


「巣鴨」という地名の起源

東京都豊島区にある「巣鴨」は、とげぬき地蔵で知られる商店街や、山手線の駅名として広く親しまれている地名である。この地名の由来については、地元にかつてあった池と鴨に関わる説と、地形を表す言葉に由来する説の二つが伝えられており、どちらか一方に確定しているわけではない。

語源説①:鴨が群れ棲んだ池に由来する説

もっともよく知られているのが、この地にあった大きな池に多くの鴨が群れ棲み、そこかしこに巣を作っていたことから「巣鴨」と呼ばれるようになったとする説である。かつて現在の駒込・巣鴨にまたがる一帯には、長さ158メートル、幅32.4メートルほどの「長池」と呼ばれる池があったと伝えられ、湧き水を湛えたこの池に鴨が集まっていたとしても不思議ではない土地柄だったとされている。

語源説②:石神井川の「洲」に由来する説

一方で、地名研究の分野では、近くを流れる石神井川の「洲」に向き合った場所という意味の「洲処面(すがも)」に由来するとの説も唱えられている。川筋が変化しながら土砂を堆積させてできた中州や川原を指す「洲」に、場所を表す「面(も)」が付いた地形由来の呼び方が、のちに「巣鴨」という字が当てられて定着したという見方である。

「洲鴨」「須賀茂」から「巣鴨」への表記の変遷

古い記録では、この地名は「洲鴨」「須賀茂」「須賀母」など、現在とは異なる漢字表記でも記されてきた。表記が揺れていたことは、「すがも」という音そのものが先にあり、それに複数の漢字が当てられてきた経緯をうかがわせる。こうした表記の変遷を経て、江戸時代半ばの元文2年(1737年)には「巣鴨町上組・中組・下組」として町屋の営業が認められて村から独立し、延享2年(1745年)には町奉行の支配を受けるようになるなど、次第に「町」としての性格を強めていったと伝えられている。

中山道の立場としてにぎわった江戸時代の巣鴨

江戸時代の巣鴨は、五街道のひとつ中山道が通る土地であり、旅人が休息する茶店や一膳飯屋が軒を連ねる「巣鴨立場」として栄えていた。また江戸六地蔵のひとつに数えられる眞性寺もこの地にあり、街道を行き交う人々と参拝者の双方でにぎわいを見せていたという。現在の巣鴨地蔵通り商店街のにぎわいは、この街道時代の名残をとどめているといえる。

植木と菊づくりで知られた郊外の農村

江戸から見て郊外にあたる巣鴨一帯は、隣接する駒込などとともに植木や園芸で知られた土地でもあった。中でも巣鴨は菊づくりが盛んで、菊人形や菊細工などの造形美で評判を集めていたと伝えられている。江戸市中に近い立地を生かし、こうした園芸文化が育まれたことも、この土地の性格を語るうえで欠かせない要素である。

上野から移ってきたとげぬき地蔵とその名の由来

現在の巣鴨を象徴する高岩寺(とげぬき地蔵)は、もとから巣鴨にあったわけではない。安土桃山時代に神田で開かれたのち、江戸の大火や都市計画の影響で移転を重ね、1891年(明治24年)に現在地の巣鴨へと移ってきた。「とげぬき」の名の由来としては、誤って針を飲み込んでしまった女中が、本尊の御影を飲んだところ針を吐き出すことができたという言い伝えが古くから語られている。

「おばあちゃんの原宿」と呼ばれるようになった経緯

巣鴨地蔵通り商店街が「おばあちゃんの原宿」と呼ばれるようになった背景には、明治期にこの寺で地蔵信仰の復興に尽力した住職が、月に三度の縁日を立案し、多くの参拝客を集めたことがあるとされる。1987年(昭和62年)の新聞記事で「おばあさんの原宿」という表現が使われるなどしたことをきっかけに、1980年代後半にかけてこの呼び名は広く知られるようになっていったと伝えられている。

「巣鴨」が今に伝えるもの

「巣鴨」という地名は、鴨が群れ棲んだ池にちなむという素朴な言い伝えと、川の地形を表す言葉に由来するという地理的な見方の両方を今に伝えている。どちらが正しいかを一つに絞り切れないところに、古い地名が長い年月を経て姿を変えてきた歴史の複雑さが表れている。中山道の立場から菊づくりの里へ、そしてとげぬき地蔵の門前町へと役割を変えながら、「巣鴨」という響きだけは変わらずに受け継がれてきた点に、この土地の懐の深さが感じられる。