「鳥取」の地名の由来は鳥を捕る民の集落?朝廷と鳥と砂丘の話


1. 「鳥取」は「鳥を取る」場所だった

「鳥取」という地名は、文字どおり鳥を捕ることを職務とした人々の集落に由来します。古代の日本では職業集団が「部(べ)」という形で組織されており、鳥を捕って朝廷に献上することを専門とした集団を**「鳥取部(ととりべ)」**と呼んでいました。この「鳥取部」が住んだ土地が「鳥取」という地名になったとされています。

2. 「部(べ)」制度とは何か

「鳥取部」を理解するには、古代の「部(べ)」制度を知る必要があります。古墳時代から飛鳥時代にかけての日本では、大和政権(ヤマト王権)が各地の民を職種ごとに編成し、一定の物資や労役を朝廷に提供させました。鳥取部のほかにも、馬を扱う「馬飼部(うまかいべ)」、機織りをする「服部(はとりべ)」などが存在し、それぞれの地名として各地に残っています。

3. 朝廷が必要としていた鳥とは

朝廷が鳥取部に捕らせていた鳥は、主に白鳥(はくちょう)や鶴、雁(かり)などの大型の水鳥だったとされます。これらは祭礼の供物や食料として用いられたほか、羽根は装飾や矢羽根に使われました。鳥は古代の日本において霊的な意味を持つ特別な生き物とされており、朝廷への献上品として重んじられていました。

4. 地名の読みが「とっとり」になった理由

古代には「とりとりべ(鳥取部)」→「ととりべ」→「ととり」と変化し、やがて「とっとり」と発音されるようになったと考えられています。「と」が重なる音が「っ」(促音)に変化する現象は日本語に多く見られる音変化のひとつです。漢字表記は「鳥取」のままですが、読みは「とっとり」として定着しました。

5. 鳥取の地名が残る最古の記録

「鳥取」という地名が文献に登場する古い例として、『日本書紀』(720年)に鳥取部に関する記述が見られます。仁徳天皇の時代の話として、鳥を献上する集団のことが記されており、この記述が地名の由来と結びついています。地名として定着した時期は奈良時代以前にさかのぼるとみられます。

6. 現在の鳥取市と鳥取県

鳥取は現在、鳥取県の県庁所在地である鳥取市として知られています。人口約18万人と、都道府県庁所在地としては日本最小規模ですが、古代から山陰地方の重要な拠点でした。江戸時代には鳥取藩(池田氏32万石)の城下町として栄えた歴史を持ちます。

7. 鳥取砂丘と地名の関係

鳥取といえば鳥取砂丘が有名ですが、砂丘自体は地名の由来とは直接の関係はありません。鳥取砂丘は千代川(せんだいがわ)が日本海に運んだ砂が波や風で堆積してできた海岸砂丘で、南北2.4キロメートル、東西16キロメートルに及ぶ日本最大級の砂丘です。地名が先にあり、砂丘はその地名を冠して呼ばれるようになりました。

8. 砂丘に「砂の美術館」が誕生した経緯

鳥取砂丘の砂を素材に、世界的な砂像作家が作品を展示する「砂の美術館」は2006年に開館しました。砂という一見不安定な素材を芸術へと昇華させたこの施設は、鳥取の観光を大きく変えた存在です。「鳥を取る民」の土地が、現代では砂で世界を表現する土地になったのは歴史の妙といえます。

9. 「鳥取」が全国最小の県になった経緯

鳥取県は人口約55万人と全国最少の県ですが、明治時代には一時的に島根県に合併(1876〜1881年)されたこともあります。廃藩置県後の府県統合の流れのなかで、鳥取は単独の県として存続できるかどうかの岐路に立たされましたが、地元住民の強い運動によって1881年に分離・独立を果たし、鳥取県として再出発しました。

10. 鳥取と砂丘を結ぶ「鳥」のイメージ

古代に鳥を捕る民が住んだ土地として始まった「鳥取」という地名は、現代では砂丘・温泉・カニ(松葉ガニ)といったイメージと重なりながら、日本海側の個性ある地域として知られています。「鳥取」の二文字に込められた鳥のイメージは、地名の由来を知ることでより鮮明に浮かび上がってきます。


「鳥を取る人々の集落」という素朴な由来から生まれた「鳥取」は、古代の職業集団制度が地名として現代まで生き続けた好例です。日本各地の地名には、こうした古代の暮らしの痕跡が今も静かに刻まれています。