「湯布院」の地名の由来は楮の郷?「由布院」との表記違いも解説
「ゆふいん」の語源は『豊後国風土記』にある
「湯布院」の読みである「ゆふいん」の語源は、奈良時代に編纂された地誌『豊後国風土記』にまで遡ります。そこには「この郷には栲(たく)の木が多く生え、その皮を取って木綿(ゆう)を作った。それゆえ柚富(ゆふ)の郷という」という趣旨の記述があり、これが「ゆふ」という地名の由来として伝えられています。「いん(院)」は後に付け加えられた、荘園・地所を示す言葉です。
「ゆふ(木綿)」は楮の皮から作った布
『豊後国風土記』にいう「栲(たく)」は楮(コウゾ)に近い木とされ、その樹皮の繊維から作られた布や糸を古代には「木綿(ゆう)」と呼びました。現代語の「木綿(もめん)」とは別物で、神事において白い垂れ飾りとして幣串に用いられるなど、神聖さを帯びた素材でもありました。この「ゆふ」が地名の語根となったことは、この地一帯が古くから楮の産地・布の生産地だったことをうかがわせます。
「院(いん)」は荘園や地所を意味する
地名に含まれる「院」は、平安時代の荘園制度において土地の管轄単位を表す語として各地に用いられました。院は寺院や上皇の御所を指すこともありましたが、地名としては「○○の管理地・荘園」というニュアンスで使われることが多く、「ゆふいん」も古くは楮を産する荘園地帯の呼称だったと考えられています。
由布岳(ゆふだけ)と地名の関係
由布院を象徴する「由布岳(ゆふだけ)」は標高1583メートルの火山で、「豊後富士」とも呼ばれる優美な山です。「由布」の字はこの山名に由来し、地名「ゆふいん」の「ゆふ」と同一の語根を持ちます。山の名前が先か、土地の名前が先かという点については諸説ありますが、由布岳と「ゆふ」という地名が古くから不可分の関係にあったことは確かです。
「湯布院」と「由布院」──2つの表記が生まれた経緯
現在「湯布院」と「由布院」という2つの表記が混在しているのには合併の歴史があります。明治22年(1889年)に発足した北由布村・南由布村は昭和11年(1936年)に合併して「由布院村」となり、昭和23年(1948年)に「由布院町」へ昇格しました。その由布院町が昭和30年(1955年)に隣接する湯平村と合併した際、「由布院」の「由」を「湯平」の「湯」に置き換える形で新しい町名「湯布院町」が生まれたのです。
「由布院」は鉄道駅名・旧来の地名として残る
合併後に行政地名は「湯布院町」となりましたが、JR久大本線の駅名は「由布院駅」として存続しています。また温泉地や旅館街の通称としては「由布院」の表記がいまも広く使われており、観光地の案内や地元の商号などでも両表記が併用されています。
由布院温泉の歴史は1000年以上
由布院の温泉は奈良時代の文献にもその名が見られ、1000年以上の歴史を持つとされています。江戸時代には豊後国の湯治場として多くの人が訪れ、明治以降は鉄道の開通とともに全国から旅行者を集めるようになりました。由布院の湯量は別府に次いで大分県内第2位を誇ります。
昭和50年代からの「静かな温泉地」づくり
由布院が現在のような落ち着いたリゾートとして知られるようになったのは昭和50年代以降のことです。地元の旅館経営者らが大型ホテル・ゴルフ場などの大規模開発に反対し、自然景観と地域文化を活かした観光地づくりを推進しました。ヨーロッパの農村型リゾートを参考にした「まちづくり」の取り組みが全国的に評価されています。
由布院映画祭と文化的な独自性
由布院温泉は温泉だけでなく「由布院映画祭」でも知られています。1976年に始まったこの映画祭は、温泉地という意外な舞台で映画上映と議論を行うユニークなイベントとして注目を集め、地域の文化的アイデンティティの形成に大きく貢献しました。温泉と文化を組み合わせたブランドづくりの先駆けといえます。
2005年の市町村合併で「由布市」が誕生
2005年(平成17年)、湯布院町は庄内町・挾間町と合併して「由布市(ゆふし)」となりました。新しい市名には「湯布院」ではなく「由布」の字が採用されており、由布岳に由来する古来の表記が市の名前として継承されています。行政・観光・鉄道でそれぞれ異なる表記が使われる複雑な事情は、合併の歴史そのものを反映しています。
『豊後国風土記』が伝える「楮から木綿を作った郷」という素朴な由来から始まった「ゆふいん」という地名は、幾度もの村・町の合併を経て「湯布院」と「由布院」の2つの顔を持つようになりました。由布岳を仰ぐ静かな盆地に湯煙がたなびく風景は、その地名が刻む長い歴史の積み重ねの上に成り立っています。