「網走(あばしり)」の語源は?アイヌ語が刻んだ流氷の町の地名
「網走」はアイヌ語由来の地名
北海道網走市(あばしりし)の地名はアイヌ語に由来します。漢字「網走」の「網(あみ)」「走(はし・走る)」という字義は直接の語源ではなく、アイヌ語の発音を漢字に当てはめた音写(当て字)です。
アイヌ語語源の複数説
「網走」のアイヌ語語源には複数の説があります。有力なのは「ア・パ・シリ(a-pa-shir)」=「あちらにある岬・陸地」という意味で、海に突き出た崖や岬の地形を指したという説です。別の解釈では「アパシリ(ap-a-shiri)」=「木が密生した土地」や「海に向いて開けた土地」とする説もあります。網走の地形(オホーツク海に面した台地・岬状の地形)と「岬・突き出た陸地」という意味が一致することから、前者の説が有力視されています。
「流氷」と網走の地名的イメージ
網走はオホーツク海の流氷(りゅうひょう)が接岸する都市として全国的に知られています。毎年1〜3月にかけてロシア・サハリン方面から押し寄せる大規模な流氷は、網走の風物詩です。流氷砕氷船「おーろら」に乗った流氷観光が人気を博しており、「網走」という地名は流氷・厳冬・北海道の果て、というイメージと結びついています。
網走刑務所と地名のイメージ
「網走」という地名が全国的に知られるようになった大きな理由の一つが、網走刑務所(あばしりけいむしょ)の存在です。明治時代(1890年)に開設され、北海道開拓の労働力として重罪囚が送り込まれました。「網走番外地(あばしりばんがいち)」という映画・歌謡曲が昭和30〜40年代に大ヒットし、「網走」=「刑務所の町・流刑地」というイメージが日本中に広まりました。
博物館網走監獄
現在、旧網走刑務所の建物は「博物館網走監獄(はくぶつかんあばしりかんごく)」として保存・公開されています。明治時代の刑務所建築が国の登録有形文化財に指定されており、囚人たちが北海道の原野開拓に従事した歴史を伝える施設として年間多くの観光客が訪れます。
明治の囚人労働と北海道開拓
網走刑務所の囚人たちは、網走から北見(きたみ)・旭川(あさひかわ)を結ぶ「中央道路」の建設に従事しました。1891年(明治24年)、わずか8ヶ月で約165キロの道路を開削した工事は過酷なもので、これが現在の国道39号線の原型となっています。多くの囚人が過労・栄養失調で亡くなったとされており、道路脇に墓碑が残されています。
オホーツク文化と古代の歴史
網走周辺は「オホーツク文化(5〜9世紀)」という独自の文化を持つ集団が暮らしていた地域です。オホーツク文化はサハリン・北海道東部・知床半島にかけて分布し、クマや海獣を祀る独特の精神文化を持っていました。アイヌ文化の前にこの地に栄えた人々の歴史が「網走市立郷土博物館」に収蔵されており、地名が語る歴史の奥深さを示しています。
「網走」という地名が示すもの
「網走」という地名は、アイヌ語が示す「岬の地」という意味とともに、日本の北端・オホーツク海に面した地という地理的な位置を象徴しています。流氷が来る町・かつての流刑地・北海道開拓の最前線——これらのイメージが重なる「網走」という地名は、日本語の地名がいかに多くの歴史・文化・自然環境を内包しているかを示す好例です。