「納豆」の語源は寺院の納所?発酵食品の王様にまつわる雑学
語源は寺院の「納所(なっしょ)」
最も有力な語源説は、寺院の台所や貯蔵庫を意味する**「納所(なっしょ)」**で作られた豆だから「納豆」というもの。僧侶が大豆を煮て藁に包んで保存したところ、偶然発酵して納豆になったとされています。各地の禅寺や大徳寺などでは今も塩辛い保存食としての納豆づくりが伝統的に行われており、糸を引く一般的な納豆とは別の系譜として受け継がれています。
「豆を納めた」から納豆?
もうひとつの説は、煮た大豆を藁苞(わらづと)に「納めた」豆だから「納豆」というもの。シンプルな説ですが、こちらを支持する研究者もいます。いずれの説も文献による確実な裏付けが乏しく、民俗学・食文化史の研究者の間でも意見が分かれているのが実情です。
納豆の歴史は平安時代まで遡る
納豆が日本で食べられ始めた時期は正確にはわかりませんが、平安時代後期の文献にすでに登場しています。ただし当時の「納豆」は現在の糸引き納豆ではなく、塩辛い「寺納豆(大徳寺納豆)」を指していた可能性があります。藤原明衡が著した『新猿楽記』には当時の食べ物として大豆の発酵食品とみられる記述が見られるとされ、平安貴族の食生活の一端をうかがわせる史料として研究されています。
糸引き納豆と寺納豆はまったくの別物
現在一般的な「糸引き納豆」は枯草菌(納豆菌)で発酵させたもの。一方「寺納豆」は麹菌で発酵させた後に塩漬けにしたもので、糸は引きません。同じ「納豆」でも製法も味もまったく異なります。見た目も大きく異なり、糸引き納豆は淡い黄色で粘りがあるのに対し、寺納豆は黒っぽく乾燥しており、味噌に近い塩味と旨味を持っています。
「なぜ糸を引くのか」の科学
納豆の糸の正体は、納豆菌が生成するポリグルタミン酸というアミノ酸の一種です。この粘り成分は接着剤や保水材としても研究されており、工業的にも注目されています。一本の糸を引き伸ばすと数センチから数十センチにも伸びることがあり、これは分子量の大きいポリグルタミン酸が持つ独特の粘弾性によるものです。
関西人は本当に納豆が嫌いなのか
「関西人は納豆を食べない」というのは過去の話になりつつあります。全国納豆協同組合連合会のデータによると、関西地方の納豆消費量は年々増加しています。ただし東北・関東と比べるとまだ少ないのは事実です。コンビニやスーパーでの取り扱いが全国的に均一化したことに加え、健康食品としての認知が広がったことも、地域差が縮小している一因と考えられています。
水戸と納豆の関係
水戸が納豆の名産地として知られるようになったのは、実は明治時代以降のことです。水戸藩そのものの歴史というより、鉄道の開通によって水戸から東京への輸送が容易になったことと、「天狗納豆」など地元業者による積極的なブランディングが大きかったとされています。明治時代に販路を広げた業者の存在が、「納豆といえば水戸」というイメージを全国に定着させる大きな役割を果たしました。
納豆は世界的には珍しくない
大豆を発酵させた食品は世界各地にあります。インドネシアのテンペ、韓国のチョングッチャン、ネパールのキネマなど。納豆の糸引きほど強烈ではないものの、大豆発酵食品自体はアジアを中心に広く分布しています。これらはいずれも高温多湿な気候風土のもとで独自に発達したとされ、大豆という同じ原料から地域ごとに異なる発酵文化が育まれてきたことがわかります。
「においが苦手」は科学的に正しい
納豆の独特のにおいは、イソ吉草酸やプロピオン酸など約300種類の揮発性化合物が原因です。これらは足の裏のにおいと共通する成分を含んでおり、「くさい」と感じる反応は生物学的に自然なことです。これらの成分の一部はチーズなど他の発酵食品にも共通して含まれており、発酵食品特有のにおいの正体が種類を超えて似通っている点も指摘されています。
7月10日は「納豆の日」
「なっ(7)とう(10)」の語呂合わせで、7月10日は納豆の日に制定されています。1981年に関西納豆工業協同組合が制定し、後に全国的な記念日になりました。寺院の納所から生まれたとされる偶然の発酵食品は、平安の昔から形を変えながら受け継がれてきました。好き嫌いが分かれる食べ物ですが、その歴史と科学を知ると、納豆への見方が少し変わるかもしれません。